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歌に心を奪われた15歳のΨは、永遠の光に包まれた

『ジョーの一日:フェドラ編』ジャクリーン・レンジュ監督

アテネ生まれの女性監督ジャクリーン・レンジュが描く、ふんわりと不思議な映画だ。物語は、チャールズ&レイ・イームズの「パワーズ・オブ・テン」の空撮を思わせる、はるか上空からの視点で始まる。「これは普通の話ではないのかもしれない」と少しだけ身構える。描かれるのは、思春期を懸命に生きる女子高生ジョーの、いつもどおりの一日だ。けれど、”何か”がずっと彼女を見守っているような気配がある。「さあ、最後のヒントをジョーにも教えてあげようよ」。どこからか、そんな囁き声が聞こえてくる。それが誰の声なのかは、わからない。

理由はわからないが、ジョーと母親の関係はぎくしゃくしている。学校では授業そっちのけでノートに落書きをし、トーキング・ヘッズやブライアン・イーノに頭を揺らす。世間体に合わせようとはしないし、合わせる気もない。離婚した父親のことも大嫌いだ。そんな15歳の少女の日常を変えたのは、ほんの小さな出来事だった。音楽の時間に聴いた、話したこともない真面目そうな同級生、フェドラの美しい歌声だ。その純粋な歌声に、そして人生をまっすぐ肯定するかのようなフェドラのあり方に、ジョーは自分にはない可能性を感じとる。「私にも歌を教えて」。前を向いて生きることを、ジョーは意識しはじめる。しかし、あまりにも大きな変化が、突然訪れる(ネタバレになるので、ここには書けない)。天から聞こえていた声の主は、この出来事をすべて知っていたのかもしれない。

「ジョーの一日:フェドラ編(A Day in the Life of Jo: Chapter Phaedra)」の主人公ジョーは、アテネに暮らす15歳。荒々しさと憂いを抱えた少女だ。この日もスクールバスに乗り遅れ、母親とぶつかり、退屈な学校で一日をやり過ごそうとしていた。ところが歌の授業で、フェドラが歌う古い歌「The Rose Tattoo」に心を揺さぶられ、涙を流す。図書館で再び出会った二人のあいだには、ぎこちない友情が芽生え、その夜に会う約束を交わす。けれどジョーの一日には、夢の世界からの不思議な兆しが、静かに差しこんでいる。映画は、ありふれた学園ものの軽やかさで始まりながら、やがて誰も予想しない場所へとたどり着く。

監督のジャクリーン・レンジュは1989年、アテネ生まれ。ロンドン・フィルム・スクールで学び、短編「Hiwa」(2017)がベルリン国際映画祭の短編部門で上映された。長編デビュー作「Moon, 66 Questions」(2021)は、ベルリンのエンカウンターズ部門に選ばれている。そして長編2作目の本作で、ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で最優秀監督賞を受けた。着想のもとになったのは、2008年12月、アテネのエクサルヒア地区で、15歳の少年アレクサンドロス(アレクシス)・グリゴロプロスが警察官に射殺された事件だ。監督が暮らす界隈で起きたこの事件をきっかけに、ギリシャ全土で数週間にわたる暴動が起きた。監督が少年について知っているのは、年齢と、どう亡くなったかだけだという。それでも、とても近くに感じる。その思いから、魂や生と死、自己というものを見つめるこの映画が生まれた。監督は、この映画が“決して消えることのない光”を感じさせるものであってほしいと語っている。音楽は、サックス奏者で、「ヘレディタリー/継承」などの映画音楽でも知られるコリン・ステットソンが手がけた。

Art by Daisuke Nishimura

TIFFのプロフィールは、彼女のスタイルを”直感的なカメラワーク、言葉とイメージの連想、偶然への信頼”と紹介している。The Film Stage が“場面ではなく、場面のかけらでできている”と評したように、この映画では、彼女の直感的なセンスによって、郊外のありふれた風景が驚きへと変わっていく。上映が1時間ほど過ぎたころには、なんとカメラからレンズを外してしまったという。彼女はいったい、何を撮ろうとしていたのだろうか?

日本でいうZ世代になぞらえるなら、ジョーには、ギリシャ文字の”Ψ(プシー)世代”という言葉がぴったりかもしれない。Ψは”プシュケー(魂、こころ)”の頭文字で、”サイコ”や”サイキック”の語源でもある。この映画のテーマである”魂”と、自分の世代を精一杯生きようと前に進むジョーの姿。その両方を、この一文字が言い表している。あるいは、”終わり”と”永遠”の両方の意味をもつ、Ω(オメガ)世代でもいいのかもしれない。

2000年代の終わり、ギリシャからは、ヨルゴス・ランティモスの「籠の中の乙女」をはじめ、不条理で冷ややかな映画が次々に生まれ、“奇妙な波(Weird Wave)”と呼ばれた。レンジュ自身は「奇妙なところなんて何もない」と、そのくくりに首をかしげる。たしかに本作は、オフビートな語り口を受け継ぎながらも、冷笑ではなく、ひとりの少女への優しいまなざしに満ちている。それは”奇妙な波”の次にやってきた、レンジュという”優しい波”なのかもしれない。