Reviews

居場所のない恋人たちに、ムンバイの青い海はそっと寄せる

『青い夜の恋人たち』アヌパルナー・ラーイ監督

ダンスもなければ、大げさな感情表現もない。ホーリー祭の極彩色もなければ、ガンジスに沈む夕日もない。代わりにあるのは、ただただ悲しく美しいムンバイの青い海と、そこに生きる市井の人々の光、そして静かに寄り添う音楽だ。僕たちが見慣れてきたインド映画のイメージとは少し違う、若い世代の感覚で描かれている。それは絵づくりだけではない。自分のセクシュアリティを隠して生きる男。言葉も通じない孤独な街で、身寄りもなく夜の街で働く女性たち。その現代的なテーマにも、独特の鋭さを感じた。

「青い夜の恋人たち(Lovers in the Blue Night)」は、大都会ムンバイの片隅で生きる4人の移民の物語だ。洪水で故郷の村を失い、この街に流れ着いた夫婦、カリムとアミーナ。カリムはネズミ駆除で日銭を稼ぎながら、自分が同性愛者であることを隠している。アミーナは「ブルー・ナイト」というバーで電話の相手をする仕事に就き、夫に応えてもらえない愛情に飢えている。彼女の心の支えは、差出人の分からない恋文だ。カリムは、カーストの重荷から抜け出したい小さな泥棒スッカにひそかに惹かれ、アミーナは手紙の主をバーのポン引きオムランだと思い込んでいく。愛と、思い込みと、生き延びること。4人の欲望と孤独が、青い夜の中で交差する。劇中ではヒンディー語に加えて、バングラデシュ北東部の言葉であるシレット語も話される。監督によれば、俳優たちはこの言葉を3か月かけて身につけたという。

監督のアヌパルナー・ラーイは1994年、西ベンガル州プルリア県の生まれ。30代になったばかりの若い才能だ。長編デビュー作「Songs of Forgotten Trees」(2025)は、ムンバイで働く二人の移民女性を描き、ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で、インド人として初めて最優秀監督賞を受けた。それからわずか1年。2作目の本作で再びオリゾンティに戻り、NETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受けた。2年続けてのヴェネチアでの受賞だ。映画づくりの原点は、川の話ばかりしていたのに、一度も川を見たことがなかった祖母だという。「それに胸が張り裂けそうになった」と監督は語る。この映画も、自身の移民としての暮らしと、労働者たちの生活がゆっくりと溶けていくのを見てきた経験から生まれた。

監督はベンガル湾のゴラマラ島で過ごした日々に、社会的な事情や気候変動によって移動しつづけるバングラデシュの家族たちと出会ったという。「誰が自由に動けるのか? 誰が属することを許されるのか?」。その問いかけは、当たり前のように与えられた平和の中で生きている僕たち日本人にとって、冷たい深海の水を浴びせられたように、ハッとさせられるものだ。

監督は、「愛は性別を越えて存在し、性別に縛られるものではない」と語る。この映画にとって、同性愛は”特別なテーマ”ではなく、ただそこにある愛のひとつなのだろう。同性愛が非犯罪化されたのは、2018年になってからという国で、ポン引きや性産業で働く人々、その日暮らしの人々を物語の真ん中に据えた。Screen はそれを”大胆な選択”と呼び、この作品を”静かにラディカルな”映画だと評している。

アミーナは、手紙に書かれた文字が読めない。そんな設定が現代社会で成り立つこと自体が新鮮だ。けれど映画は、それを巧みに物語の仕掛けとして生かしている。壊れやすい心を、細い糸で一本ずつ紡いでいくような、繊細な語り口だ。

Art by Daisuke Nishimura

星の数ほど生まれては消える悲しみも喜びも、青く深いムンバイの海が夜風とともに、やさしく包み込む。「青」という色には、さまざまな意味がある。インドの神話では、愛の神クリシュナは青い肌で描かれ、恋人ラーダーと会えない時間の切なさまでもが、愛として歌い継がれてきた。また、神々が海をかき混ぜた乳海攪拌の物語では、海から湧きだした猛毒を、シヴァ神がひとりで飲みほし、その喉が青く染まったという。愛の色であり、誰かの痛みを黙って引き受ける色。この映画の「青」は、そのどちらでもあるように思えた。帰る家がなくても、隠さなければならない愛があっても、ムンバイの青い海だけは、誰のことも拒まない。