怖いものの「輪郭」わかるうちは、まだ安全だったのだ
Column

怖いものの「輪郭」わかるうちは、まだ安全だったのだ

電車の窓に、景色が溶ける。向かい合った席で夢中で紙に鉛筆を走らせている二人。遊びのルールはひとつ、”自分がいちばん怖いもの”を描くこと。触手か、歯か、目玉か。描き上げては見せ合って、笑う。怖いものは、輪郭を与えられた瞬間にすこし縮む。誰もが子どもの頃にやったことのある、あの遊び。—— そこに突然のように、通路の向こうから女が現れ、腰を下ろす。彼女の深く鋭い視線は、落書きを通り抜けて、その先をずっと先を見ているようだ。鮮やかな色彩の世界が、生き物のように動いたその瞬間、車内の空気の温度が変わる…。

「God Is Shy(Dieu est timide)」は、フランスのJocelyn Charlesによる15分34秒の初監督短編アニメーション。高速列車のなかで、イラストを学ぶアリエルとポールが恐怖のスケッチ遊びに興じているところへ、ギルダという謎の乗客が割り込んでくることで大きく動き出す。「彼女の恐怖との関係は、二人の絵ほど無邪気ではないようだ」とと紹介されているが、確かにギルダが語りはじめるのは怪談ではない。もっと悪い。世界の底が抜けるたぐいの話だ。 “gorgeously bright-hued design and eldritch cosmic horror”(目の醒めるような極彩色のデザインと、いにしえの宇宙的恐怖)と評されるこの作品、技法は紙への手描きと2Dコンピュータというシンプルなスタイル。声を当てるのは、フランスの舞台とテレビの大ベテランDanièle EvenouAlba Gaia Bellugi、そしてベルリン映画祭銀熊賞(男優賞)のAnthony Bajon。音楽はP.R2Bことポーリーヌ・ランボー・ド・バラロン。

Art by Daisuke Nishimura

Jocelyn Charlesはエコール・ブール、エスティエンヌを経てゴブランでキャラクターアニメーションの修士を取得した後はL’Impératrice「Hématome」(Roxane Lumeretとの共同演出)やThe Weeknd「Do I Make You Love Me」といったミュージックビデオで、怪物性とユーモアとゴアを混ぜ合わせてきた才能。批評家週間のインタビューでは、影響源として『Dr.スランプ』のキャラクターデザインと『もののけ姫』の恐怖の空気を並べて挙げ、アリ・アスタージョーダン・ピールのように”笑いを恐怖に混ぜてゆく”やり方を得意としている。彼はこう語る。「現実の生と温度に接続し直せるのは、俳優の声のなかにおいてなのです」。アニメーションが宿命的に持ってしまう”作り物としての距離”を、実在する人間の喉で埋めにいく。この一手が、本作の怖さの芯にある。

製作は、ウゴ・ビアンヴニュと俳優としても知られるフェリックス・ド・ジヴリがパリに構えたRemembers。カンヌでプレミア上映され、アヌシーでクリスタル賞を獲り、アカデミー賞にまで届いた長編『Arco』を送り出したスタジオである。その工房から出てきた15分が、2025年のカンヌ批評家週間短編コンペでワールドプレミアを迎え、セザール2026のアニメーション短編部門にノミネート(受賞は逃した)、そしてアヌシー2026では観客賞・審査員賞・SACEM賞(短編オリジナル音楽賞)の三冠を持っていった。審査員と観客が同時に手を挙げる短編は、そう多くないことからもこの作品の魅力がわかるだろう。

美しい極彩色のまま、世界は「内側と外側」から壮大な破滅へと向かってゆく。美しさが怖さをやわらげてくれないというのは、救いのない発見であり、そこに「アニメ」という冷静で冷たいメディアの力を、可能性を強く感じた。

人間とは、一生のあいだずっと、恐怖に輪郭を描き続ける生き物かも知れない。名前をつけ、物語にし、「把握」することでなんとか生き続けているのだ。それでも紙の外側には、まだ描かれていないものが残っている。怖いのは、描けたもののほうではない。窓の外では、景色が同じ速度で流れ続けている。誰も列車を止めない。ただ、「恥ずかしがり屋」の神と目が合ってしまったのなら、そこから抜け出すことはできないのだ。