スウェーデンの巨匠、ロイ・アンダーソン。「さよなら、人類」や「愛おしき隣人」で知っている人も多いと思うが、とにかく、彼がつくりだす世界は、絵画のように美しい。今もCGにほとんど頼らず、巨大なスタジオにセットを組み、細部にまでこだわった色づかいと美術をほどこしているというから、すごい。そんな彼が長編デビューを果たした、みずみずしい作品「A SWEDISH LOVE STORY」(1970)。そして、”人間の疎外感”を乾いた舞台にさらけだすような独自のスタイルを確立していく途中で撮られた、およそ15分の短編「WORLD OF GLORY」(1991)。この二本を、続けて観てみた。そこにあったのは、麻痺するほどに孤独でグロテスクな大人の世界と、それを、愛のある冷たさで描きだすロイ・アンダーソンの美学だった。
「A SWEDISH LOVE STORY」はデビュー作なので、まだ、固定カメラとセットを使った彼のスタイルはない。むしろその画面は、ヌーヴェルヴァーグの恋愛劇のように、気まぐれで、ビビッドで、情熱的に若い。子どもから大人へと急ぐ少年少女の瞳からあふれる光を逃すまいと、自然な動きのなかで撮りあげている。一目惚れから始まる、どこにでもあるような少年と少女の恋の物語だが、ゆっくりと広がる暗雲のように、大人たちの物語も描かれていくのが、ロイ・アンダーソンの世界だ。14歳の美しいアニカは、その瞳で、ドアの隙間に見える憂鬱な大人の世界を、じっと見つめている。アニカの父ジョンは、都会で暮らす、冷蔵庫を売るエリートの営業マン。そして少年ペールの父は、田舎で釣りを愛する自動車修理工だ。想像どおりの展開と、想像できない展開がからみあい、大人たちと子どもたちは、静かにエンディングへと向かっていく。

そしてもう一本、「WORLD OF GLORY」を紹介したい。2作目の長編「Giliap」(1975)のあと、アンダーソンは長いあいだ長編を撮らず、CMの演出で名を知られるようになる。この短編は、そのあいだにヨーテボリ映画祭の依頼で撮られた一本だ。ここには、子どもは出てこない。つまり、安らぎも救いもない。今にも発狂しそうなほど”何か”が抑えつけられた、孤独で麻痺したようなロイ・アンダーソンの世界が全開である。
この作品は、強烈な場面から始まる。スウェーデンの郊外らしき寒々とした場所に停められたトラックに、裸の男女、子ども、老人たちが押しこまれていく。泣き叫ぶ声などかまうことなく、ドアは機械的に閉められ、トラックの排気ガスが、ホースを伝って閉ざされた荷台の中に満たされていく。ナチスが使った”ガス・トラック”を思わせるその戦争犯罪が、ありきたりな郊外の日常のように描かれると、いやに重たい。主人公らしき男、白塗りの顔をした不動産業者は、何度もカメラのほうを振りかえる。その瞳に正気はなく、剥がした絆創膏の下でふやけた皮膚のように真っ白な顔は、怯えているようにも見える。
靴屋らしき場所にいる男は、椅子に座ったまま、死んだように動かない。そして、おもむろに口をひらく。「昨日、恐ろしい夢をみた。目が見えなくなったんだ」。それが何を意味しているのか、何もわからない。すでに見えなくなっているのか、ほかにも失ったものがあるのか。靴屋の店員も、ウィンドウからのぞきこむ男たちも、誰もが青白く、ただ”カメラ”を、怯えたように見つめている。まるで”カメラ”が、権力者に告げ口をする裏切り者だとでもいうように。美しく作りこまれたセットのなかで、愛のない結婚、退屈な仕事、平凡な日常。あまり見たくない男の人生を、じっと見せられていく。原題の「Härlig är jorden」は、”地上は美しい”という意味だという。
「A SWEDISH LOVE STORY」に出てきたアニカの父は”エリート”だが、ドラマの後半、楽しそうに仲間とパーティーをする”田舎者たち”の姿を見ながら、発狂する。「俺の人生45年は何だったんだ! あはははは」と。これはまさに、「WORLD OF GLORY」が描きだした、陰鬱な男の心の中そのものだ。ショーウィンドウから中をのぞいていた男は、21年後のアニカの父だったのかもしれない。
愛のある観察眼で、冷たく、けれど美しく世界を描くロイ・アンダーソン。キラキラと輝く「A SWEDISH LOVE STORY」の若いふたりよりも、気が狂いそうな世界を生きる大人たちのほうに強く共感してしまうのは、僕だけだろうか。それは悲しいことかもしれない。けれど、”その中でしか見えない美しさがあるんだよ”と、ロイが教えてくれている気がするので、このまま生きていこうと思う。

