デヴィッド・リンチ監督の出世作『ブルー・ベルベット』でクラブ歌手”ブルー・レディー”ことドロシー・ヴァレンズを妖艶に演じたイザベラ・ロッセリーニ。堂々とした演技を見せた彼女だが「私が下手だったから評判がわるいのでは…」と悩むほどナイーブな側面もあったらしい。それからほどなく映画は世界中から高い評価を受け、たくさんの賞も受賞したが、際どすぎる汚れ役を引き受けてしまったために「それまでやっていたモデルの仕事は無くなってしまった」という彼女。そんな心配もよそに、すぐに引く手あまたの女優となったことは誰もが知る事実だろう。それから35年以上が経った今、彼女はどうなったのだろうか?
イザベラ・ロッセリーニは今一番輝いている。そんな気がする。少なくともすごく楽しそうだ。彼女が監督出演している2分〜3分ほどの短編作品シリーズを見れば、僕が言っている意味がよくわかるだろう。ダーウィンの進化論では「女性は生まれながらに世話をする存在」と書かれているが、おそらくイザベラ自身が様々な映画表現を通してたどり着いた独自の「母性本能」観や「女性」観について、ウィットに富んだ表現を駆使して教えてくれる。それも「魚や動物になりきって」、である。
「MAMMAS(哺乳類)」だけで10種類、「SEDUE ME(誘惑して)」だけで10種類、「GREEN PORNO」だけで11種類ある。「MAMMAS」の第一話では「母性本能」の説明から始まる。各エピソードでは、彼女がハムスターやツチハンチョウ、アヒルなどの動物に扮してわかりやすく説明してくれる。たとえばハムスターは自分の赤ん坊を食べるのを知っていますか?と始まり、ハムスターになりきった彼女が生まれすぎた子供を育てることができなくなった時に「だったら食べちゃおう」とあっけらかんとしながら食べてゆく様子が演じられる。「そうか、恐ろしい行為だけれども、ハムスターの世界が成り立つためには必要なのかもな」と、みている人たちは納得する。別のエピソードでは、よく知られたアヒルが自分の子供を他の巣の中に入れる話が演じられる。人間からみるとおかしなことが、彼らにとっては必然性を持っていることがよくわかるのだ。
これだけ聞くと単なる教育動画だと思うかもしれないが、そうではない。彼女がハムスターの格好をしてもカッコウの格好をしていても、そこにいるのは狂気を孕んだ”ブルー・レディー”ことイザベラ・ロッセリーニの姿であり、母親であると同時に「女性として美しく生きる」姿さえも大胆に表現されている。ときに卑猥に、ときにアングラ演劇のように危うく。「母性本能とは、女性性とはなんだと思います?」と問いかけた彼女はこう答えている。「I think the answer is anything goes(答えは、なんでもありなんじゃない?)」と。そうか、この言葉で全てが理解できた。鬼才デヴィッド・リンチ(一度は結婚もしている)のめちゃくちゃな要求で実現した映画『ブルー・ベルベット』は、「なんでもあり」って思える彼女だからこそ世界的な名作になったんだな。