ウガンダの尼僧は、涙を流しながら誘惑の扉を閉める

February 2nd, 2025 / / /

“白人優勢の映画界”に異議を唱えるべく新世代のアフロ系アメリカ人映画監督達が起こしたムーブメント”LAレベリオン”。彼らは、型破りな映画を作ることでハリウッドの偏見に終止符を打とうと試みる。1960年代後半から1980年代後半に UCLAを中心に始まったこのムーブメントにおける第一世代である女性監督ジュリー・ダッシュは、人種差別や性差別について世に問いかけ続けている。

本作『Diary of an African Nun』(アフリカ尼僧の日記(1977)は、 ジュリーが在学中にアリス・ウォーカーの短編小説をもとに制作した、敬虔さを守ろうとひとり葛藤する尼僧を描いた短編。ウガンダでキリスト教の尼僧になった若い女性が様々な誘惑に悩まされる姿を、全編落ち着いたトーンのモノクロと詩的で美しいモノローグが紡いでゆく。

Art by Daisuke Nishimura

「あなたはこんなに若くて美しいのに、なぜ尼僧なのですか?」と聞かれることがあるという彼女。貞節を守り敬虔な尼僧のふりをしているが、実はそんなに強くはない。壁の向こうに広がるウガンダの、情熱的で刹那を生きる色鮮やかな世界に強く気持ちが惹かれているのだ。ただ尼僧としての日々を守り続ける。心の中で葛藤をしているだけなのだが、そのモノローグが、言葉が実に美しい。

夜になり仕事を終えた彼女は自室に戻って寝ようとするが、身体が火照って眠れない。外では楽しそうな太鼓の音が高まり、美味しそうに焼かれた羊の香りが漂ってくるからだ。そこには興奮と快楽があり、恋人たちが自由に性を謳歌しているのはわかっているからだ。「私は、赤く輝く火のほとりで頬に熱い愛の息吹を感じることができません」と溢れてくるパトスにうなされて浮かぶ妄想。それを掻き消すように祈りの言葉を呟き続ける。

二十歳になり尼僧の白装束を着るようになってから、この生活を守っているという。外では結婚して、子供たちにキスをする幸せに溢れているのに、彼女はそれができないことを知っている。「エクスタシーは神の国と同じように甘いものでしょうか?」と誘惑に負けそうになる言葉もありながら、運命を受け入れた冷静な尼僧としての冷たい言葉も持つ。「太鼓の音はいつかは静かになるだろう。私はその音を永遠に消すのを手伝うつもりだ」。美しき尼僧は、一人静かに涙を流す。

いまやアフリカ最大の難民受け入れ国となったウガンダ。最貧国の一つでありながら”穏やかでホスピタリティが高く誠実”という国民性だからこそ180万人以上もの難民を受け入れてきたのだろう。このドラマの舞台である修道院も、夜になると観光客が宿泊するホテルとなり世界中からの客を受け入れている。彼女は尼僧だが、夜になると白装束姿のまま清潔なシーツとタオルを部屋へと届けてゆく。その姿に原始的な美しさを感じるドイツ人もいれば、チップを弾んでくれるアメリカ人もいる。あるいは部屋のトイレに出現した巨大ゴキブリで頭がいっぱいのイタリア人もいる。

ウガンダが持つプリミティブなエネルギーとの対比なのか、聖域と俗世が共存する場所のせいか、はたまま白装束を着た黒い彼女の肌のせいか。彼女が苦しめば苦しむほど、その敬虔な美しさが際立つようだ。

Art by Daisuke Nishimura