何も起きない風景を何時間も何十時間も眺めつづける兵士。果てしなく続く緊張のためか、はたまた”彼だけが見てしまった恐ろしいヴィジョン”のためなのか、両の目は赤く充血し、後ろ頸に一筋の汗が伝い落ちてゆく…。この小さな箱の中でじっと中空を見つめ続ける行為、それさえひとつの暴力なのかもしれないと思い始めたころに、兵士は交代の時間を迎え、敬礼をし、日常へと戻るジープに乗り込む。そして夜になると、また彼はこの箱に戻ってくる。その繰り返しだ。
レバノンで生まれパリを中心に活動する彫刻家アリ・チェリーが作り出した秀逸なショートピース『The Watchman』は、単なる映像ではない。土塊で作られた兵士のオブジェ、カラスの羽で作られた”空飛ぶ機械”、目が塞がれた頭部だけのオブジェが並ぶ”夢のない夜”など、メッセージ性の強い作品を多く作ってきたアリにとってこの視覚芸術は、立体でもありインスタレーションでもあるのだ。現に劇中には”夢のない夜”で登場した彫刻作品を彷彿とさせる兵士たちも登場している。
舞台は、激動のキプロスにゆれ続けるロウロウジナ村。1974 年の分裂以前はギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人が調和して暮らしていたが、紛争により分裂。痛ましい歴史の証人としてロウロウジナ村はじっと見つめ続ける。この村はギリシャ系キプロス人が支配する領土内の孤立した飛び地であり、北キプロスへの77キロメートル以上に及ぶ狭い回廊を通ってしかアクセスできない、精神的にも感情的にも完全な”孤立”を象徴した場所である。国境を監視する任務を与えられた若き兵士がみたもの。それは幻覚なのか、前線で死んでいったものたちの幽霊なのか。まるでドキュメンタリーのように静謐に描きながら、突然のように入り込むフィクション。彫刻家であり映像作家であるアリ・チェリーならではの美学が気持ちいい。アリ・チェリーは語る。「超自然的なエッセンスを加えることで、この映画をキプロスの社会経済的、政治的現実に根ざしたものにしたいと考え、歴史の傷跡とフィクションとを融合させたいと思いました」。
1974年の分裂以来、まだ何も変化がないという分断線。それでも、何かが起きることを前提に、何も起こらない風景をじっと見つめ続ける兵士たち。芸術と考古学と歴史を横断するアリ・チェリーが夢みた「夢のない夜」が、今日も静かにふけてゆく…。
