稲妻と静を意味する名前を持ったキドラック・タヒミックは、エリート家庭として生まれながらヒッピーのような芸術家としての道を選ぶことで「真のフィリピン人」の姿を模索した芸術家である。1977年に作られたこの映画には、けっして色褪せることのないタヒミックの原点とその魅力がいっぱいに詰まっている。かつてのスペインやアメリカ(そして日本)によって植民地化されたフィリピンという国が「押し付けられた価値観」の中でも、決して染まることないキラキラした瞳のままでタヒミックは生きていた。そこにある理不尽さに強い疑問と憤りを感じていながらも、彼は決して怒ったりはしない。むしろそれらを、人を笑顔にするような作品に変えていく。
タヒミック演じるフィリピン人の”僕”は、植民地フィリピンの牧歌的世界に暮らすジープニーの運転手でありながらも、川の流れに逆らう岩のように達観した瞳でカメラを見つめる存在だった。冒頭に橋の上で彼は言う。「祖父が竹で作った橋を侵略者のスペイン人は壊し作り直した。その後も新たな植民者であるアメリカ軍はそれを拡張しようとしたが、アモク山からの強烈な風のために断念した」。これはもちろんフィリピンという国そのもののメタファーでもある。そしておもむろにミニカーを引っ張りながら橋を渡る彼が登場し、「私はキドラット・タヒミック。私はどんな橋も渡れる車を持っている」と力強く語る。 それは彼が扮するジープニー運転手の言葉でありながら、タヒミック自身の言葉なのだ。物語の後半でも”橋”というメタファーは何度も登場する。こうやって演じるキャラクターと彼自身の物語を巧みに紡いでゆくことで見ている人を少しづつ魔法にかけてゆくのが、彼の魅力のひとつだ。そして”彼”はアメリカ人のビジネスマンに気に入られてパリに旅立ち、世界を見る旅が始まる。
この映画には複数の「内なる声」が存在する。自身の声以外に、まずは彼を連れてきたアメリカ人の声。そして祖父から竹で家を建てる方法を学んだ親友のカヤ。そしてもう一つ、”彼”の旅に同行している木彫りの馬の声である。この馬は”彼”の母親が死んだ父親を思って掘ったものであり、馬の声=父親の声なのだろう。これらの声が、タヒミック自身の強い思いを代弁しながらし、物語は進んでゆく。
かつて親友のカヤは「いつか静かなる竹の強さを知る時が来る」と言った。ヨーロッパに渡った彼の中に、この言葉は深く刺さる。急速に工業化する世界で失われてゆく古き良き技術。例えばドイツを旅していた時のこと。改修中の教会の前に人だかりができていた。「このZwiebelturm(円形屋根)は最後の手作りのものなのだ」と人々は話しながら誇らしげに言う。そして彼が乗ってきたジープニーを指差し「その車は手作りなのかい?それは可哀想に」と言うのだ。しかし果たしてそうなのだろうか?タヒミックの内なる声は「古いジープニーは死なない。そこから百の新しいジープニーが生まれるのだ」と呟きながら、ラスピニャスのジープニー工場「SARAO Motors」で汗にまみれながら働く職人たちの姿が浮かぶ。さらに声は次のように叫ぶ。「なんておかしいんだ!ここにいる老人たちはなぜ古い技術に対してセンチメンタルになっているのか、僕にはわからない」と。

NASAの宇宙開発を指揮したロケット科学者フォン・ブラウン博士を尊敬していた”彼”にとって、初めて訪れた新世界は、素晴らしい驚きに満ちていた。「カヤ、竹ではロケットは作れないんだ!僕は五百年の歴史があるタワーに住んでいる。そしてこれはこれから五百の台風と地震を乗り越えるだろう」と。その反面、「キドラット、いつか竹の持つ静かなる強さに気がつくんだよ」と、古き技術への回帰を促す、内なる声も聞こえる。一見すると相反する要素を共存させて物語を進めることができるのも、タヒミックの魅力なのだろう。
ヴィム・ヴェンダースやヴェルナー・ヘルツォークらに「自由な自然」や「イノセンス」と評されたこの作品に、聡明なタヒミックだからこそ計算できた仕掛けを感じるのは、僕だけではないだろう。「私は、あなたが思うほど賢くはない」と言いながら「そして僕が橋を渡ることは、誰も止めることはできない!」と突き進み、物語はクライマックス(ネタバレになるので説明しない)へ向かってゆく。なるほど!
本編の後に流れるクレジットはエアメールに書かれた文字、というおしゃれなサプライズだった。切手は全て人工衛星のイラストになっており、もちろん最後の一枚はあのイラスト。これは、映画を最後まで見た人だけのお楽しみにとっておこう。
