アリーチェ・ロルヴァケルと写真家でストリートアーティストJRが生み出した現代の寓話『An Urban Allegory』は、21分の短編でありながら、哲学的好奇心に溢れ、世界の見え方が変わるように感じる傑作。バレリーナである母親は、風邪をひいた娘の手を引きながらなんとかオーディション会場に到着するも、受付はすでに終了。バレエ監督に直談判しようとシアター内に入ると、そこにはレオス・カラックス扮する監督が静かに座っていた。そして意味深い言葉を発する。「生まれた時から、人間は誰もが洞窟の中に鎖で繋がれているんだ。わかるかい?」
これは、プラトンが書いた「国家」下巻(岩波文庫)にある、プラトンの「洞窟の比喩」と呼ばれる寓話である。そしてカラックスはプラトンの一節を続ける。「繋がれた人間たちは頭が固定されているので、目の前に起きることから目を逸らすこそができない」と。洞窟の中で囚人のように暮らしている人たちは、壁に映っている影のことを世界のすべてだと信じているのだ。カラックスの意味深な言葉は、壁面に映し出された幻惑させるバレリーナの幻惑的な影へとつながり、ロータリーオルガンチックなエレクトロの中で画面には心地よい緊張感が生まれてゆく。

その時バレエ監督は、突然息子ジェイの耳元に、秘密の言葉を告げる。何が告げられたかはわからない。が、物語を「序破急 」で考えるなら、「急」へと向かうきっかけのようだ。息子ジェイの頭の中に、「もし囚人がひとり、そこから逃げることができたらどうなる?」と逸話の言葉が頭の中で繰り返される。そして、息子は、待ちくたびれたシアターから街へと飛び出してゆく。
そしてここからが、この映画の真骨頂だ。何気ない壁面にジェイが触れると、そこから「別の世界」が開かれていった(ネタバレはしたくないので、抽象的な表現に留める)。JRは、街に、そして「プラトンの洞窟」の壁面に驚くべき仕掛けをしたのだ。BANKSYのようなグラフィティの世界に入りこんだジェイは、その中(=洞窟)にある孤独を感じながら、ふと思った。「だったらもし、一人ではなく囚人全員が、その世界を抜けだそうと出口に向かったら?」。それは壁の中に入ったジェイだからこそ浮かんだ答えであり、「プラトンの洞窟」に新しい光が差し込んだ瞬間であった。
街の壁や建物などに写真を貼る「ペースティング」などの手法でドキュメンタリー的に世界と化学反応を起こし続けるJRと、肉体という最もプリミティブなメディアで表現するバレエダンサー。映画というメディアはこの二つを見事につなぎ、そこに二千四百年の時を超えたプラトンの寓話のつなげてきた人間存在に対する「洞窟」という問いに、新しい光の出口を与えたようだ。
