「マゼラン」は、ポルトガルに生まれ、スペイン王の後ろ盾を得て海に出たフェルディナンド・マゼランの物語だった。1521年にフィリピンのセブ島にたどり着き、布教を試み、その目的の半ばで、マクタン島で命を落とす。一方、ラヴ・ディアス監督の新作「お通しください、ご先祖さま」の舞台は、それからおよそ100年後の1617年、フィリピンの、とある島だ。そこはすでにスペインから来た新たな侵略者ミゲル・ロペス・デ・レガスピたちの手で落とされ、着実に植民地化が進んだ世界になっている。コワモテのスペイン人修道士エンシソは、その村で暴君のようにふるまう。先住民の信仰を守る呪術師を弾圧し、その一方で、布教のための教会を建てつづける。息子のように目をかけるドゥンウェンに命じたのは、教会に使う大理石を、盗賊や抵抗する者たちが潜む森の向こうから運んでくることだった。もちろんそれは、「死」を意味する旅路だ。映画『オデュッセイ
この映画を観ると、なぜ「マゼラン」という映画が生まれたのかよくわかった。荒れ狂う海を越え、命を賭けてまでアジアをそしてフィリピンを目指して航海してきたマゼラン船団(5隻・約270名で出航し、3年の航海の末に帰還した船は1隻、生還者は18名)。その動機と冷徹で悲しい時代の背景を、この映画から少し感じとることができる。
「マゼラン」で、島を守る頼もしいフマボン王を演じたのは、フィリピンの名優ロニー・ラザロだった。かたや同じラザロが本作で演じたのは、ヒママットという、どことなくフマボンと語感の似た名前を持つ小汚い男。フマボンは、マゼランが上陸したセブの島を治めていた王(実在の人物)だったが、なぜ名優をディアスは、本作ではラザロを老いた小男として演じさせたのか。もしかしたら、ここにはディアスが隠した小さな仕掛けがあるのかもしれない。例えば、ヒママットは、王の血を引く子孫なのではないか。100年のあいだに、名前が少しだけ形を変えて、受け継がれてきたのではないか。そんな想像をしてしまう。フマボンは力強い島の王だった。けれどヒママットは、美しい呪術師(イサベル・サンドバル)の従者のように、頼りなく付き従う年老いた弟だ。ディアス監督の意図があったのかはわからない。ただ、マゼランに立ち向かった王の影はもうそこにはなく、哀れな老人に姿を変えている。「マゼラン」で奴隷エンリケを演じたアマド・アージェイ・バボンも、ディエゴという名で、修道士に従い、運命に翻弄される島民として登場する。エンリケもディエゴも、スペイン語の洗礼名であり、100年たっても、島の男はスペインの名前で呼ばれているとかんがえると、この「名前の由来」一つをとっても、ディアスはこの映画に多くのメッセージを込めているのが感じられる。同じ顔が、100年後の島で、ちがう立場を生きているのだ。
ここで、ひとつの想像をしてしまう。イサベル・サンドバル演じる島の呪術師ババイェン・インディマタンドッグは、スペインがやって来る前、もっと力のある存在だったのではないか。日本の卑弥呼のように。3世紀の「魏志倭人伝」は、邪馬台国の女王・卑弥呼が”鬼道”に仕え、人々を従えていたと伝えている。フィリピンの島々にも、「ババイラン」と呼ばれる、主に女性のシャーマンたちがいた。精霊と交わり、病を癒やし、占う。植民地化の前、彼女たちは貴族に並ぶほど敬われ、首長(ダトゥ)が不在のときには、共同体を率いることもあったという。ところがスペインの支配が始まると、カトリックの聖職者たちは彼女たちを”悪魔の祭司”と呼んで迫害し、多くは民間の治療師として生きのびることになる。1521年にマゼランがこの島々にたどり着き、その半世紀後にはレガスピのもとで征服が進んだ。権力の座を追われたインディマタンドッグと、弟ヒママットは、傷を癒やす祈祷師に身をやつして、島をさまよっているのではないだろうか。”かつて栄えた時代の王”だったかもしれない祈祷師が、海の向こうから来た修道士の手で冒されていく。そこに、この映画の象徴的な悲劇があるように思えてならない。
ラヴ・ディアスは、1958年、フィリピン南部ミンダナオ島のコタバトに生まれた。紛争の続く土地で子ども時代を過ごし、経済学を学んだあと、マニラで文章や映画批評を書いていた。モノクロの画面、動かないカメラ、長回し。数時間におよぶ作品も少なくない、”スロー・シネマ”の代表的な作家だ。「昔のはじまり」でロカルノの金豹賞、「痛ましき謎への子守唄」でベルリンの銀熊賞、「立ち去った女」でヴェネチアの金獅子賞を受けている。そのディアスが、フィリピンの問題は”神話づくり”にあると語り、「マゼラン」を”修正主義的”な作品だと認めている。本作のステートメントでは、スペインの植民地支配は、性暴力と強欲と救済の約束の上に築かれたと書いている。重い石と厚い壁、高い天井を持つ当時の教会は、植民地支配の恐ろしさの”証拠”なのだ、と。ドゥンウェンの一行が森を越えて運ぶ石は、まさにその”証拠”の一部なのだろう。

本作のディアスは、むしろ長回しの作家というより、すごくわかりやすい編集になっていると感じた。 また「マゼラン」とおなじく、歴史を通じた反体制への訴えが、さらに強くなっている?とも感じた。「151分という上映時間は、ラヴディアスの2011年以降で、いちばん短い作品」(Micropsia)と言っている。ヴェネチアでは、人権と良心の自由を掲げる作品に贈られる独立賞「ブライアン賞」を受けた。題名は”ご先祖さま”に向かって「通してください」と呼びかける言葉だ。「マゼラン」のリサーチは約7年。ポルトガル、スペイン、ニューヨークなどの図書館や文書館、セブ、マラッカを回ったと報じられている。ステートメントでは、フィリピン最大の問題は”神話づくり”で、マルコスやドゥテルテのような指導者はそこから台頭した、と書いている。「マゼラン」と本作は、エンタメ映画としての文脈では読み取れない部分もあるもしれないが、ブレることのない”指導者たち”に中指を立てるラヴ・ディアスのメッセージがしっかりと刻まれているのだ。
「マゼラン」、2027年2月下旬公開
ラヴ・ディアス監督の「マゼラン」は、2027年2月下旬から、シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開される。ガエル・ガルシア・ベルナルがマゼランを、ロニー・ラザロがフマボン王を、アマド・アージェイ・バボンがエンリケを演じる。1521年、マゼランの一行とセブ島の人々の遭遇を、島の側から描いた163分。「お通しください、ご先祖さま」の100年前の物語だ。
