大学を何か月も封鎖し、2年近くにわたって続いてきたセルビアの学生たちの反体制運動。その運動は今年10月25日の議会選挙で、学生たちの候補者リストを圧勝へと導いた。この映画が描くのは、その運動のさなかの、ある夜だ。デモの混乱のなか、投げられたひとつの石が、警官に当たる。血を流して倒れるその姿を目にしたとき、さっきまでの熱は、混乱と恐怖に変わる。殺してしまったのだろうか。高揚した空気に乗って、どこかファッションのように加わる若者も少なくないデモのなかで、それは誰の予想も超えた出来事だった。後悔にさいなまれたまま、ふたりの逃走が始まる。かつて若松孝二監督らが描いた、学生運動の時代の空気を、少しだけ思い出した。けれど、スクリーンに映っているのは、まぎれもなく”今”を生きるセルビアの若者たちだ。
「今日が終わるまで(Until the Day Ends)」の舞台は、2024年のベオグラード、ゼムン地区。この年の11月1日、セルビア第2の都市ノヴィサドで、改修されたばかりの鉄道駅の庇(ひさし)が崩れ落ち、16人が亡くなった。汚職による手抜き工事が原因だという怒りが広がり、学生たちは大学を封鎖。その抗議運動は、ミロシェヴィッチ政権の崩壊以来、最大規模といわれるほどにふくれあがった。20歳のレナは、学生たちのボイコット運動に加わる左派の活動家。22歳のステファンは、自分の将来も考えて、政府を支持する側に立つ青年だ。政治的には対極にいるはずのふたりは、家族や社会から逃れて自由になりたいという同じ思いを抱えたまま、混乱のなかで出会う。そして、レナが幼いころを過ごした場所をめざして、逃避行を続けていく。
監督のイェレナ・マクシモヴィッチは1984年、ベオグラード生まれ。編集者としてキャリアを重ね、2015年からは大学で教えている。本作は、彼女の長編劇映画デビュー作だ。今年9月、ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で世界初上映され、東京国際映画祭ではコンペティション部門に選ばれた。セルビアの女性監督の劇映画がヴェネチアの公式部門に選ばれたのは、1966年以来のことだという。
過激な行動に身を投じながらも、ふたりは家族を大切に思う、心やさしい青年たちだ。だからこそ、ひとつの石が引き起こしてしまったことの重さに、押しつぶされそうになる。その心の揺れは、理屈ではなく、映像を通して描かれていく。父の形見として残されたピアノを運びだす場面では、カメラがふいに”ピアノの目線”に切りかわり、ガタガタと揺れる。大胆なレンズフレアが、たびたび画面を白く照らしだす。Screen Dailyは、このフレアを”多すぎる”と書いた。けれど僕には、その光のなかで、体制と反体制、社会と自由、正しさと後悔といったものが、感覚的に溶けあっていくように見えた。

そして、最後の場面が忘れられない(少しだけネタバレ)。広い丘陵地を逃げていく、ふたりと一匹の犬。カメラが空高くへと上がり、丘全体を映しだしたとき、誰もいなかったはずの丘に、たくさんの人たちがいることに気づく。人々は無言のまま、一定の速さで、みな同じ方向へ歩いていく。どこからともなく現れた蟻の行列のように、規則正しく列をつくって、遠くへと向かっていくのだ。じっとそれを眺めていたふたりの肩を、行列のひとりが”ぽんっ”とたたく。一緒に行こう、という意味なのかもしれない。けれどふたりは、笑ってそれをかわしてしまう。
あの行列は、体制に逆らうことなく生きていく人たちの姿なのだろう。そこに加われば、きっと楽になれる。それでもふたりは、笑って列の外にとどまる。そこには、イェレナ・マクシモヴィッチが描こうとした、自由を求めて闘う意志と、どこか軽やかな遊び心が感じられた。今日が終わるまで、ふたりと一匹の犬は、まだ自分の足で歩いていける。
