「ディスプレイスメント(displacement)」とは、紛争や迫害、災害などによって、住み慣れた場所を追われることを指す。ディスプレイスメント・フィルム・ファンドは、そうした避難を経験した映像作家や、避難民の経験を描いてきた作家たちに、映画をつくる機会を届けるために生まれた基金だ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使を務めるケイト・ブランシェットが共同で創設し、代表を務める。2025年のロッテルダム国際映画祭で発表され、ユニクロが創設パートナーとして支援している。第1弾に選ばれたのは、ウクライナ、ソマリア、シリア、イラン、アフガニスタンの5人の監督だ。それぞれに10万ユーロの制作費が贈られ、今年1月のロッテルダム国際映画祭で、5本の短編がそろって世界初上映された。ブランシェットは、避難を強いられた人々をめぐる“有害な物語を払いのける”ことを語っている。避難民を、語られる側から、自らの物語を語る側へ。それが、この基金の使命なのだろう。
東京国際映画祭では、その5本がひとつのプログラムとして上映された。前線を離れたウクライナの女性兵士が受ける催眠療法。カブールのジムで、女性だけに許された1時間に集まる主婦たち。イギリスの難民申請者施設で、カメラを回しつづけるシリアの映画作家。亡命先で、異国の言葉と向きあうイラン人作家。どれも”避難”という経験を、それぞれの角度から見つめた珠玉の短編だ。そのなかから、ここではソマリアの一本について書きたい。

映画は、心地よい演奏の場面から始まる。結婚式の本番を控えた、バンドのリハーサルだ。おそらく、ソマリアならどこの結婚式でも聴こえてくる音楽なのだろう。アフロビートと演歌が混ざりあったような、どこか懐かしい調べに身をゆだねていると、突然、警察が踏みこんでくる。キーボードを弾いていた男が連れていかれる。「裁判だ。何の件か、わかってるな?」「はい」。音が止まり、男は静かに会場をあとにする。
「ウィスパーズ・オブ・ア・バーニング・セント/残り香のささやき(Whispers of a Burning Scent)」の主人公ハンファデは、結婚式で演奏するバンドのキーボード奏者だ。彼が裁判所に呼びだされたのは、子どもたちに知らせないまま75歳の女性と結婚し、その財産を売ったとして、詐欺の疑いをかけられたからだ。大事な結婚式での演奏と、裁判の審理。その二つが同じ一日に重なるなかで、寡黙な彼の私生活は、人々の目にさらされていく。法廷と、街と、舞台。28分の短編は、そのあいだを行き来しながら、献身と誇り、そして喪失のあいだで揺れる男の胸の内を、言葉少なに見つめる。けれど彼は、どうしても詐欺師には見えない。そこにあるのは”純粋な愛”なのではないか。観ている人の誰もが、きっとそう感じるだろう。40歳も年上の妻を思う、35歳の男の静かなまなざしに、偽りは感じられない。
監督のモ・ハラウェは1992年、ソマリアの首都モガディシュに生まれ、2009年からオーストリアのウィーンで暮らしている。ドイツのカッセル美術大学で映像を学び、短編「Life on the Horn」(2020)でロカルノ国際映画祭の特別賞を受けた。続く短編「Will My Parents Come to See Me」(2022)は、クレルモン=フェラン国際短編映画祭でグランプリを受け、ベルリン国際映画祭の短編部門にも選ばれている。長編デビュー作「The Village Next to Paradise」(2024)は、ソマリア映画として初めて、カンヌ国際映画祭のオフィシャル・セレクション(「ある視点」部門)に選ばれた。本作は、ディスプレイスメント・フィルム・ファンドの第1弾の5本のひとつとして生まれた。
物語のモデルは、実在の男性だという。ソマリアで前作を撮影していたとき、美術用の小道具を本物の危険物と勘違いした警察に、撮影チームが連行されたことがあった。そこで出会った男性が、ハンファデのもとになった。監督はその男性について、こう語っている。「彼の本当の感情は証明できません。確かに存在しているけれど、証拠はないから」。
寡黙なハンファデが、妻について語る言葉がある。妻は寝る前に温かいシャワーを浴びて、お香の香りを嗅ぐのが好きなのだ、と。財産のことでも、潔白のことでもない。本当に妻のそばにいて、妻を思っている人にしかわからない、ささやかな習慣の話だ。
(以下はネタバレを含む)
映画の最後、ハンファデは、認知症が進んだ妻のために、離婚させられてしまう。そのあと、彼はひとり、炭をゆっくりと起こし、妻が好きだったお香を焚く。急ぐことも、何かを訴えることもない。ただ火が移るのを待ち、真っ白な煙が立ちのぼるのを見つめている。法廷で、彼の愛は最後まで証明されなかった。けれど、その静かな手つきほど雄弁な証言はなかったように、僕には思えた。
失ったのは、妻だけではなかった。大事な結婚式の本番は、ほかのバンドにとられてしまう。映画は、その演奏を聴きながら、ただ佇むハンファデの悲しい顔のアップで終わる。冒頭で彼が奏でていたはずの音楽を、彼は今、外側から聴いている。
確かにそこにあるのに、証拠のないもの。それは、焚きしめたあとに部屋に残る香りに、どこか似ている。「残り香のささやき」というタイトルは、きっと、法廷が聞きとれなかった、その小さな声のことなのだろう。
監督はユニクロのインタビューで、この物語の舞台を日本やオランダに置き換えても、社会はきっと同じように彼を裁くだろう、と語っている。年の離れた結婚、財産、そして子どもたちの不信。たしかに、それはモガディシュだけの話ではない。家族からも、世間からも疑われ、自分の暮らしのなかで居場所を失っていくハンファデの姿は、国境を越えなくても、人は”住み慣れた場所”を追われることがあるのだと教えてくれる。
監督は、こうも語る。「人間は物語を必要としています」。映画は、音と映像を重ねることで、言葉の壁を越えて意味を伝えられる。自分のなかに残りつづけた物語を外に出すことで、多くの人と同じ問いを分かちあえるのだ、と。そして、ファンドから生まれた5本に共通していたのは、どの作品にも怨みが込められておらず、すべてが希望を示していたことだったという。住み慣れた場所を追われた映像作家たちが残したのは、怒りの爪痕ではなく、静かな希望の足跡だった。ハンファデが焚いたお香のように、その香りはきっと、観た人のなかにいつまでも残りつづける。
