騒がしい食堂に、騒音計を取り付けるニン。壁一枚へだてた隣の花屋は、夜遅くまで続く騒音に頭を悩ませている(この花屋は、映画の後半で、もうひとつの騒音に悩まされることになる)。この騒音計には、美しい仕掛けがある。音が大きすぎると、青い光が灯るのだ。まるでアピチャッポンの映画のように、音に合わせて、ぼわーっと不思議な青い光があたりを照らす。やがて騒音に怒った隣人が沸点に達し、バルコニーから植木鉢を投げ落とす。けれど、静かになるのはほんの一瞬だけ。そう、これは”騒音”を通して、ホーチミンの市井に生きる人たちと、主人公ニンの家族と人生を、優しく描いた物語だ。
一見すると、台詞の少ない、静かなスローシネマのようだ。けれど観ているうちに、その静けさが、実は無数の音でできていることに気づく。食堂の夜の喧騒、森のざわめき、墓地の気配。この映画は、耳で観る映画であり、そして音を光に変えて、目で聴かせる映画でもある。ゆったりとした時間の奥に、力強い実験性と、音と光を使った確かな芸術性が潜んでいた。ひとつひとつのフレーミングにも、卓越したセンスを感じる。期待の新鋭による、長編第2作だ。
「聴覚(Hearing)」の主人公は、中年の整備工ニン。家や公共の場所に騒音計を取り付けて回るのが仕事だ。ニンは老いた母と暮らし、別れた妻ゴックと幼い子どもたちを恋しく思っている。長く口をきいていない両親の仲も、なんとか取り持ちたいと願っている。物語は、彼が仕事で訪れる騒々しい飲食店や森、墓地などをめぐりながら進むが、普通の意味での筋はほとんどない。代わりに観客の前に差し出されるのは、さまざまな”音”だ。そしてその世界は、やがてシュルレアリスムの領域へと踏み込んでいく。TIFFの紹介文が”圧巻”と書く、森に現れる大量の猿の群れも、そのひとつだ。
監督のレ・バオは1990年、ホーチミン(サイゴン)の生まれ。映画への関心は、幼いころ、川沿いに建つ自宅の小さな窓から外を眺めていたときに芽生えたという。パソコンで外国映画を観ながら独学で映画づくりを学び、借りたカメラで最初の短編を撮った。長編デビュー作「Taste テイスト」(2021)は、ホーチミンのスラムで4人の女性と暮らすナイジェリア人の元サッカー選手を描いた作品で、ベルリン国際映画祭のエンカウンターズ部門で審査員特別賞を受けた。2作目の本作は、ロカルノ国際映画祭のコンペティションで世界初上映された。撮影は「Taste」に続いてグエン・ヴィン・フック。音響はヴァンサン・ヴィラ、音楽はノルウェーのテクノの草分けメンタル・オーバードライブが手がけている。製作には9つの国と地域が関わった。監督自身は、この映画を「愛する人々や場所への賛歌」だと語っている。

“騒音に耐えられない人”の物語だと思っていると、”静けさに耐えられない人”も現れる。この世界の”静か”は、”無音”のことではない。The Film Stage が音響を「ASMRのよう」と評したように、それは小さな音に満ちた静けさなのだ。In Review Online は、この映画が瞑想的でありながら、スローシネマにありがちな長回しには頼っていないと指摘し、前作「Taste」からの「大きな前進」だと評している。
ベトナム映画の「Viet and Nam」(チュオン・ミン・クイ)や「黄色い繭の殻の中」(ファム・ティエン・アン)、アピチャッポンの「MEMORIA メモリア」や「ブンミおじさんの森」。本作には、さまざまなインスピレーションのルーツが感じられる。けれど、それを超えるオリジナリティにもあふれている。「この沈黙に、俺たちは長く耐えすぎた」と村の人たちが言うように、ベトナムの新しい才能は、音で満ちたこの世界を、青く染めようとしている。
