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変わりゆくカンボジアを見守る精霊は、人に生まれ変わることをためらった

「人間に生まれるなら」リー・ポーレン監督

アンコール遺跡のように朽ち果てた映画館。差し込む光の中に、一人の少女と、そのそばに置かれた小さな祠がある。長い静寂のあと、カメラを手にした一人の青年が、静かにその空間へ入り込んでくる。はじめ、彼には少女が見えていない。その瞬間、観客は”ああ、この少女が精霊なのだ”と気づく。すぐそばに、そのまま佇んでいる。人と精霊の境界をこれほど曖昧に描くのは、東南アジアの死生観なのかもしれない。タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の「ブンミおじさんの森」(2010)でも、人の世界と霊の世界はなめらかにつながっていた。それは、東南アジアで戦闘体験をしている日本の漫画家水木しげるが描いた精霊と妖怪の世界とも通じている気がする。

「人間に生まれるなら(Becoming Human)」の舞台は、カンボジア北西部の街バッタンバン。取り壊しを控えた古い映画館に、記者の青年ハイが別れを告げにやってくる。そこにいたのは、かつて人間として生き、いまは映画館に宿る守護霊ティダだった。彼女には、人間に生まれ変わる時が近づいている。けれど生前の記憶が、その一歩をためらわせる。急速に都市化していく街で、故郷を失いつつある青年と、生まれ変わりをためらう精霊。世代の違う二人のあいだに、友情が育っていく。ティダを演じるセラック・サヴォーンは、撮影当時15歳のダンスの学生で、これが映画デビュー。ハイを演じるチュン・ピセスは、「White Building」(2021)でヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門の最優秀男優賞を獲った俳優だ。TIFFの紹介文が、この映画の問いを一行で言い当てている。「ひとつの場所が失われたとき、その記憶はどこへ向かうのか」。

Art by Daisuke Nishimura

監督のリー・ポーレンは1989年、カンボジアのカンダル生まれ。独学で映画づくりを身につけ、短編「Further and Further Away」(2022)、ドキュメンタリー「Until the Orchid Blooms」(2024、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭で上映)を経て、本作が初の長編劇映画になる。企画はヴェネチア・ビエンナーレ・カレッジ・シネマに選ばれ、カンボジア作品として初めてこの育成プログラムから生まれた長編になった。2025年8月にヴェネチアで世界初上映され、釜山、ロンドン、台北金馬と映画祭を巡り、第99回アカデミー賞国際長編映画賞のカンボジア代表にも選ばれている。製作は、プノンペンの映画製作集団Anti-Archive。2014年にダヴィ・シュー、スティーヴ・チェン、そして本作の編集も手がけるニアン・カヴィッチが立ち上げた。

輪廻転生の行き先を決めるため、精霊たち(といっても、見た目はごく普通の人たちだ)は役所のような建物に集められる。そこで一人の精霊が嘆く。「私は100年間、湖の守護霊をしていたけれど、そこが開発されて、もう魚もいない」。この言葉を聞いて、僕は「A Cambodian Spring」を思い出した。プノンペンの湖の埋め立てに反対する人々と僧侶を追った、クリス・ケリー監督のドキュメンタリーで、Hot Docsの審査員特別賞を受けている。カンボジアを見つめる映画の根底には、いつも開発への異議が流れているのかもしれない。監督自身もステートメントで、不当な開発によって家や暮らしや風景を失っていく人々を見てきたことが、この映画の出発点だと書いている。

ただし、そのまなざしは、火炎瓶を投げるような攻撃的なものではない。むしろガンジーのようであり、力で抵抗することはしない。誰かを責めることもなく、ただ優しい。ドキュメンタリーが”闘う”ことで問いかけるのだとしたら、この映画は、その場所に何があったのかを”覚えている”ことで、静かに問いを差し出す。IndieWireが「記憶、アイデンティティ、場所のなかを、ゆっくりと歩いていく」と評したように、スクリーンには、心地よい眠気を誘うような、魂が洗われるような時間が流れている。

設定でひとつ面白かったのが、”飲むと前世を忘れて転生できるスープ”だ。以前TSUTAYAで借りて観た日本映画『スープ・生まれ変わりの物語』(2012)にも、まったく同じ設定があったのを覚えている。元になっているのは、中国の民間信仰に伝わる孟婆湯(もうばとう)だ。冥界で女神の孟婆が、転生する魂にこのスープを飲ませ、前世の記憶を消すという。ギリシャ神話の忘却の川レーテーも、よく似た発想だろう。カンボジアに同じ言い伝えがあるのかは分からない。けれど、死んだあとにも選択肢が用意されているという発想に、僕は少し優しさを感じてしまった。

1960年から75年にかけて、カンボジアでは約400本の映画がつくられた。けれどその多くはクメール・ルージュの時代に失われ、いま残っているのは30本ほどだという。その歴史は、ダヴィ・シューのドキュメンタリー「Golden Slumbers」(2011)に描かれている。この映画に現れた映画館の精霊は、もしかしたら、失われたフィルムの記憶そのものなのかもしれない。変わりゆくカンボジアを見つめつづけてきた、とても温かく、優しい存在として。