“カノニカル(canonical)”という言葉には、二つの顔がある。物理の世界では「正準」と訳され、混沌とした現象を”方程式として解ける形”にするための言葉。一方でキリスト教会の世界では、カノン(教会法・正典)に適ったもの、つまり”正統”を意味する。結婚もまた、本来はその正統さの枠の内側にあるものだった。ダウの”愛”は、そのどちらでもなかった。妻がいて、愛人がいて、また別の愛人がいる。秘密研究所の中で、関係は増えていくばかりで、一つの解に収束しない。彼こそは、究極の方程式さえ届かない破壊と混沌が支配する宇宙、そのものだった。
冒頭の数分で、頭の中が激しく掻き回される。音と色と群衆が、編集のスピードに乗って一気に押し寄せる。一瞬だけ飛び込むノイズ、破壊、臓器のようなビジョン…。眩しいほどの色をまとったスペクタクルが、時間が進むにつれて少しずつ色を失い、灰色と水槽のような緑に沈んでいく。「DAU」は、1928年から1968年までをソ連で生きた天才物理学者ダウの40年を描く195分だ。モデルは、ノーベル賞学者レフ・ランダウ。宇宙の法則を解き明かしたい若者が、国家に奉仕させられ、兵器の開発に引き込まれ、監視と特権に囲まれた秘密研究所のなかで、結婚の外に次々と関係を求めていく。ダウを演じるのは俳優ではない。ギリシャ生まれの指揮者テオドール・クルレンツィス。脚本には『青い脂』の作家ウラジーミル・ソローキンが加わっている。そしてこの映画は、普通の撮り方で作られていない。2008年、ウクライナのハリコフに12,000平方メートルの研究所がまるごと建てられた。2009年10月から2011年11月まで、オーディションに集まった39万2千人の素人から選ばれた約400人が撮影され、常時200〜300人がそのセットのなかで”ソ連”を生きた。回ったフィルムは35mmで700時間。そこから14本の長編と3本のドラマシリーズが生まれ、2019年のパリでのインスタレーション、2020年のベルリン国際映画祭(「DAU. Natasha」が撮影のユルゲン・ユルゲスの仕事に対して銀熊賞)を経て、本作では2024年に撮り足した映像が当時の素材とつなぎ合わされている。

監督のイリヤ・フルジャノフスキーは1975年モスクワ生まれ。父はロシアを代表するアニメーション作家アンドレイ・フルジャノフスキーで、長編デビュー作「4」(2004)でロッテルダム国際映画祭のタイガー・アワードを獲った。そして2026年9月、本作でヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞(最優秀監督賞)を受けている。ただ、この人の名前は称賛と同じくらい論争の的になっているという。素人の出演者を閉じた空間で”生きさせる”という手法はずっと批判されてきていうという。主演のクルレンツィスもまた、ロシアの国営銀行VTBの支援を受け、侵攻への非難を拒んできた側だという。つまりこの映画は”支持者と同じ数だけ敵をつくっている”とも言える。
主人公のDAUは、自分が大学時代に擦り切れるほど読んでいた『力学・場の理論 ランダウ=リフシッツ物理学小教程』を書いた一人”ランダウ”がモデルになっていると知って、激しく動揺した。ランダウとは、ニュートンの退屈な方程式を魅力的に描き直した神のような大先生。それがこんな破天荒な人物とはとても信じられなかった。映画の誇張なのかどうかは分からないが、ただ調べてみると、モデルになったランダウ本人も、妻コーラとはいわば”開かれた結婚”を生きた人だったと伝えられている。二人が婚姻届を出したのは、ずっと後の1946年、息子が生まれる前のことだ。コーラはのちに回想録で、夫の恋愛を受け入れてきた日々を書き残している。正規の書類の外側で始まり、正統の枠の外側で続いた愛。虚構のダウと史実のランダウは、少なくともその一点で、同じ方程式を解きそこねている。
宇宙の法則なら誰よりも美しく書けた天才が、自分の愛だけは方程式にできなかった。いや、そもそも彼は、愛を”解ける形”にすることを望んでいなかったのかもしれない。物理好きとして一つ嬉しかったのは、劇中に「ファイマンダイアグラム」というキーワードが一度登場したこと。その言葉を聞いた瞬間に合点がいった。クルレンツィスが演じた学者の姿は、物理学者史上最も魅力的でハンサムだったノーベル賞学者ファインマンの姿によく似ているのだ。究極の理論を追い求める男が持っている、危険な魅力(ファインマンはすごく真面目な人ですが)。このあたりは、わかる人だけわかればいい。
