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答え合わせのないまま、人は人生を語り直す

『海辺の一日』エドワード・ヤン監督

二人の女が、13年ぶりに向かい合って座る。ひとりはヨーロッパから帰ってきたピアニスト、ひとりは結婚に沈んでいった友人。そこから166分、映画はひたすら”思い出す”。その回想のなかでまた誰かが思い出しはじめ、時間の底が何度も抜ける。観ているうちに、自分がいまどの層にいるのかわからなくなる。そして最後まで観て、肝心のことが、何ひとつ確定しないまま終わることに気がつく。 あの日、浜辺で見つかったのは誰の体だったのか。映画はそれを、教えてくれない。

「海灘的一天」(1983/台湾/166分)は、エドワード・ヤン(楊德昌)の長編デビュー作。”Two friends who haven’t seen each other for thirteen years reunite”(MUBI)——13年ぶりに再会する二人の友人を演じるのは張艾嘉(シルヴィア・チャン)と胡因夢(テリー・フー)。脚本はヤンと、のちに「ヤンヤン 夏の想い出」で主演もつとめる呉念真。ひとつの家族史のなかに、そのまま台湾の地層が露出している。

この映画を撮ったときヤンは35歳で、それまで映画の職業経験がほとんどなかったという。1947年上海生まれ、国立交通大学で電気工学を出て、フロリダ大学で修士。USCの映画学校に籍を置いたが「商業主義的すぎる」と離れ、シアトルでソフトウェアの仕事をしていたが1980年前後に台湾へ戻り、オムニバス「光陰的故事」(1982)の一篇でデビューして翌年。この「海辺の一日」が生み出された。しかも撮影監督は、当時まだ長編を一本も撮ったことのなかったクリストファー・ドイル(杜可風)。ヤンは製作会社を説得して彼を起用し、ドイルはこの初仕事でアジア太平洋映画祭の撮影賞(1983年)を獲得。のちにウォン・カーウァイの映像を作り、「HERO」を撮る男の、最初の一本がこれだ。端役には侯孝賢が顔を出している。台湾ニューシネマの才能たちが出会い始めた、魅力的な時代だ。

Art by Daisuke Nishimura

正直に言うと、クリストファー・ドイルの名前を見たとき、僕は「恋する惑星」のような、ネオンの街を駆け抜けるポップな映像を想像していたが画面に流れていたのは、まったく逆のものだった。抑え込まれた感情、ゆったりと流れる時間、そしてその底に沈んでいる喪失感。それらが、水に落とした化学物質がゆっくりと広がっていくように、少しずつ混ざり合い、色を変えていく。考えてみれば順番が逆なのだ。「恋する惑星」はこの11年後の作品である。あの疾走する映像の人は、まず”待つ”ことから始めていた。

それにしても、「海辺の一日」とは、どの一日のことなのだろうか? 原題の「海灘的一天」も、邦題も、どの日かを指さない。英題だけが “That Day” と、過去の一点に縛りつけている。戻らない過去のある一日なのか。それとも、思い出されるたびに今になる、終わらない一日なのか。たぶんこの映画では、一日が、そのまま永遠になる。

あの”浜辺の一日”は、答えではなく、答えが出ないまま歩き出すための一日なのだ。すくなくとも台湾ニューシネマの若い才能たちは、そうやって世界へと飛び出していった。