とにかくピアニスト役のマルチン・マセッキが演奏するピアノが超絶技巧すぎる。「ポーランド出身のアヴァンギャルドピアニスト」という通り名がぴったりハマる変幻自在な前衛的ピアノ。精密機械のように規則正しく指が踊るかと思いきや、何かを思い出したかのようにピタッと動きを止めては、また別モードで動き出す。それに呼応するかのように踊り狂うマウゴシア・ベラ演じる美しき女性。まるで光に引き寄せられた羽虫がごとく、無視することのできないその音色に引き寄せられ、次第に狂わされてゆく。この短編動画『MUSE』には、音楽の素晴らしさだけでなく、ユーモアと、”極めたものだけが醸し出せる色気”が見事に表現されている。
監督のパヴェウ・アレクサンデル・パヴリコフスキ はポーランドのワルシャワ出身で、日本でも公開された『イーダ』(2013)では第87回アカデミー賞でアカデミー外国語映画賞を受賞するなど、ドキュメンタリーからドラマまで描く大ベテランの監督。ピアニスト役のマルチンもマウゴシアも大人の華やかな色気が染み出しているのは、パヴェウ監督自身の魅力によるのだろう。ただもう一つ、この映画には大事な仕掛けがしてあることも忘れてはいけない。
その隠された仕掛けとは、ギリシャのイドラ島で撮影された、ということである。この場所は、CNNの記事にもあるように”車のない静寂の島、時が止まったギリシャのイドラ島”と言われる、伝説の美しい島。条例で車は一切禁じられており、移動手段は主に「馬」。「フェリーを降り、島の中心地イドラ港に降り立つと、島のゆったりしたリズムをたたえながら石畳の道を優雅に進む小さな馬が、訪問客を出迎える」とCNNに書かれているように、そこは暖かい海風と眩しい太陽の下で悠久の時間を感じることができる場所。この場所で、美しい超絶技巧のピアノが聞こえてきたら…。だれだってその美しさに心は狂ってしまうだろう。この二人の物語がどうなるのかは見てのお楽しみである。
ジャズでもなくEDMでもないにも関わらず、ここまで見るものの胸を躍らせる音楽表現は少ないだろう。時が止まった美しき伝説の島イドラで聞こえてくるピアノと、そのそばで熱に浮かされたように踊り続ける美女。その普遍的な美しさを持った表現ゆえに、この映像は100年経っても色褪せないことだろう。この場所が存在し続ける限り。
