カルチャーのど真ん中で、世界が変わっていくのを肌で感じながら、ドキュメンタリーを撮りつづけるのは、どんな気持ちなのだろう。もっとも、その渦の中にいる人には、そこが”ど真ん中”かどうかなど、わからないのかもしれない。「パリ、夜は眠らない。(Paris Is Burning)」(1990)は、まさにそんな奇跡が凝縮された、濃密なドキュメンタリーだ。パンクス、モッズ、ヒップホップ、グラフィティ、スケートボード……。新しいカテゴリーを生みだしてきたストリートのムーブメントは数多い。けれど、この映画に描かれているのは、ニューヨークのハーレムで、ゲイやトランスジェンダーの人たちが競いあった”ボール・カルチャー”だ。誰よりも”女性”らしく、そしてファッショナブル(=ヴォーグ)であるために、彼女たちは文字どおり、命をかけて表現をぶつけあった。

原題の「Paris Is Burning」は、そのまま訳せば「パリは燃えている」。けれど、パリは出てこないし、消火活動の映画でもない。このタイトルは、映画にも登場するパリ・デュプリーが毎年開いていたボール(舞踏会)の名前からとられている。「Burning」も、”燃えている”というより、邦題の「眠らない」のように、夜を徹してメラメラと輝きつづけているイメージだ。「ファッションの都は、ここにあるんだ!」とでも言いたげに、彼女たちは夜な夜なミシンを踏みつづけ、手を加えた奇抜なドレスで、ランウェイを闊歩しつづける。ちなみに「パリは燃えているか?」は、第二次世界大戦のパリ解放のさなか、パリを破壊せよと命じたヒトラーが問いただしたとされる言葉だ。ボールの名前には、きっとそのアイロニーが込められていたのだろう。そしてそこには、「私たちのステージ=”ボール”がなくなるくらいなら、燃やしつくしてやる」というメッセージも、重なっているのかもしれない。
ゲイやトランスジェンダーの人たちが、異端として扱われていた時代。彼女たちは生きづらさを抱えたまま、自分を見つけだそうともがいていた。同じ思いを分かちあう彼女たちは、表現の場である”ボール”へと自然に吸いよせられ、「ハウス」と呼ばれるそれぞれのファミリーをつくっていった。家族に拒まれた若者たちにとって、ハウスは、もうひとつの家族でもあった。その名前がまた、チャーミングだ。創設者の名前をとった「ラベイジャ」もあれば、”豪華なショー”を意味する言葉からきた「エクストラヴァガンザ」もある。それぞれのハウスから魅力的な人たちが登場するが、なかでもいちばん有名なのは、「ニンジャ」のウィリー・ニンジャだろう。映画が完成する前の1989年には、マルコム・マクラーレンの「Deep in Vogue」のMVに主演。モデルや社交界の人たちに、カメラの前でのポーズや歩き方を教えるようにもなった、みんなの憧れの存在だった。2006年に45歳の若さで亡くなった彼は、今も”ヴォーギングのゴッドファーザー”として、伝説のように愛されている。
もうひとりの大切な主人公は、エクストラヴァガンザのひとり、ヴィーナス・エクストラヴァガンザだ。独特の色気をもつ小柄なヴィーナスは、”手の届かない世界”に、誰よりも憧れていた。小悪魔的なほほえみ、腰に手を置くタイミング。フェミニンな魅力のすべてを、彼女は表現できていた。「だけど、声だけはダメなのよね」と笑いながら話すヴィーナス。この映画に登場する彼女たちみんなに幸せになってほしいと願いながら、どこか不安な影がつきまとうヴィーナスのことは、祈るような気持ちで見ている僕がいた。何が起きたのかは、ここには書かない。けれど、エクストラヴァガンザのママ、アンジーが語る「気をつけなさいって言ったのに、誰にでもついていっちゃうから」という言葉は、心に沁みる。
1990年、マドンナの「ヴォーグ」が世界中でヒットする。そのMVの振付を手がけたのは、ヴィーナスと同じハウス・オブ・エクストラヴァガンザのホセとルイスだった。ハーレムの夜が、世界中のアパレルが注目するカルチャーへと”燃えあがる”。その裏側には、数えきれないほどの夜、数えきれないほどの”彼女”たちが、ボールの控え室で、化粧を重ねつづけてきた時間があったのだ。

