我を忘れたカメラパーソンは、星に気を取られて井戸に落ちる哲学者に似る。

February 26th, 2025 / / /

このタイトルは、無我夢中でカメラを回すドキュメンタリー撮影者キルステン・ジョンソンの姿を見て哲学者ジャック・デリダが言い放った冗談だ。ニューヨークの雑踏の中、この脱構築のフランス人哲学者が話す言葉を一つも漏らさないようにとピッタリくっついて撮影している姿を見て「彼女は撮影に夢中だな。だったら私は、星に気を取られて井戸に落ちる哲学者だな」と笑い飛ばしたのだ。それほどまでに、ドキュメンタリー映画製作者であり撮影監督のキルステン・ジョンソンは「この世界を描き出すこと」に夢中だ。

キルステン・ジョンソンがディレクターとして作り上げたドキュメンタリー作品『CAMERAPERSON(邦題『カメラマン』の主人公は、彼女自身である。正確には、彼女が25年以上にわたって撮影し続けてきた膨大なフッテージが主人公だ。ドキュメンタリーの第一線で活躍し続けているシネマトグラファーの彼女が、どのように世界とリンクし、どのように被写体に愛され、時には世界の不条理さに苦しむ人たちや、逃れられない悲しみに直面してきたのか。ボスニア、ダルフール、カブール、テキサス、そしてニューヨーク。それは彼女自身に影響を与えてきた思い出深い映像たちであり、異なる場所の断片が交互に編集されているだけにも関わらず、そこには心地よい「キルステンの時間」がある。ある意味すごく実験的なモンタージュ作品であり、97分が短く感じられるほどに引き込まれる。

登場人物の中に、ワイオミング州で暮らすショートカットの老婦人がいる。この人はキルステンの母親だという。アルツハイマー病になってから3年が経つらしい。砂時計のようにサラサラと消えてゆく記憶の流れに逆らうように、彼女は羊牧場の入り口で力強く立ち遠くを見つめている。「お母さん」とキルステンが呼ぶと振り返る。その隣では父親のディック・ジョンソンが微笑んでいる。あれ?よく考えると、このお父さんがアルツハイマー病で亡くなる映画があったはずだ。調べてみると、Netflixでも見れるらしい。作品名はタイトルもそのままの『ディック・ジョンソンの死』。「人生の幕引きを控えた父親の死にざまを、独創的かつコミカルな演出で撮影することで、死という避けられない現実に向き合うキルステン・ジョンソン監督作品」と説明が書かれている。そうか、キルステンさんのご両親は二人ともアルツハイマー病になり、その全てを彼女は撮影し続けていたのか…。統合失調症の姉を撮影し続けたドキュメンタリー映画『どうすればよかったのか?』もそうだが、壊れてゆく家族を撮影し続けるのは簡単なことではないだろう。映画の後半では少し表情も変わり始め、震える手で古いモノクロの家族写真を握りしめる母親。キルステンの声は優しく、そのカメラも決して急ぐことはない。『どうすればよかったのか?』の中で弟が姉に「ぼくでよかったら話をいくらでも聞くよ」と言ったように、母親を撮影している娘としてのキルステンがそこにいる。

2016年のシェフィールド・ドキュメンタリー映画祭で審査員大賞を受賞したこの作品には、見る人たちにドキュメンタリーの本質について考えさせる力があると思う。なぜドキュメンタリーに惹きつけられるのか、なぜ彼女はそこまでして撮り続けるのか。ジャック・デリダが星に夢中になると例えたように、ドキュメンタリストたちは美しい光を見つけて、夢中で撮影をしているのだ。そこに井戸があって落っこちてしまったとしても、今度はその井戸を夢中で撮影しているのかもしれない。

Art by Daisuke Nishimura