子供には甘く大人には厳しい、それはロイ・アンダーソンにしか描けない美しき”世界の果て”

February 18th, 2025 / /

スウェーデンの巨匠ロイ・アンダーソン。『さよなら、人類』や『愛おしき隣人』で知っている人も多いと思うが、とにかく彼が作り出す世界は絵画のように美しい。現在でも決してCGに頼ることなく、巨大なスタジオにセットを組み、細部にまでこだわった配色や美術を施しているというからすごい。そんな彼が長編デビューを果たした瑞々しい作品『A SWEDISH LOVE STORY』(1970)と、”人間の疎外感”を乾いた舞台に曝け出すようなスタイルを確立した後の作品『WORLD OF GLORY』(1991)を同時に鑑賞してみた。そこにあったものは、麻痺するほどに孤独でグロテスクな大人の世界と、それを愛のある冷たさで描き出すロイ・アンダーソンの美学だった。

『A SWEDISH LOVE STORY』はデビュー作ということで、まだ固定カメラとセットを使った彼のスタイルはない。むしろその画面はヌーベルバーグの恋愛劇のようにスポラディックでビビッドで情熱的に若い。子供から大人へと急ぐ少年少女たちの瞳から溢れる光を逃さないように、自然な動きの中で撮り上げている。一目惚れから始まるどこにでもあるような少年少女のラブストーリーだが、ゆっくりと広がる暗雲のように大人の物語も描くのがロイ・アンダーソンワールド。14歳の美しいアニカはその美しい瞳で、ドアの隙間に見える憂鬱な大人の世界をじっと見つめている。 アニカの父親ジョンは都会で暮らす冷蔵庫のエリート営業マン。そして少年ペールの父親は田舎で釣りを愛する自動車修理工。想像どうりの展開と想像できない展開が絡み合い、大人たちと子供達は静かにエンディングへと向かう。

Art by Daisuke Nishimura

そしてもう一本の作品『WORLD OF GLORY』(1991)を説明したい。この作品には子供は出てこない。つまり安らぎも救いもない。今にも発狂しそうなほどに”何かが”抑圧されたような、孤独で麻痺したようなロイ・アンダーソンワールド全開である。この作品は、強烈な演出で始まる。スウェーデンの郊外らしき寒々とした場所に置かれたトラックに、裸の男女、子供、老人たちが押し込まれてゆく。泣き叫ぶ彼らの声など構うことなく、機械的にドアは閉められ、トラックの排気ガスが閉鎖空間の中にホースを使って満たされてゆく。誰もが想像する恐ろしき戦争犯罪をモチーフにしているだろうが、それがありきたりな郊外の日常のように描かれると、嫌に重たい。主人公らしき男は、何度もカメラの方を振り返る。その瞳に正気はなく、剥がした絆創膏の下に膨らんだ皮膚のように真っ白い顔は、怯えているようにも見える。

靴屋らしき場所にいる男は、椅子に座ったまま死んだように止まっている。そしておもむろに口をひらく。「昨日恐ろしい夢をみた。目が見えなくなったんだ」と。それが何を意味しているのか何もわからない。すでに見えないのか、他にも失ったものがあるのか。靴屋の店員やウィンドウから覗き込む男たちも、誰もが青白く、ただ”カメラ”を怯えたように見つめている。まるで”カメラ”が、権力者へ告げ口する裏切り者だと言うかのように。美しく作り込まれたセットの中で、愛のない結婚、退屈な仕事、平凡な日常。あまりみたくない主人公らしき男の人生を、じっとみさせられてゆく。

『A SWEDISH LOVE STORY』に登場したアニカの父親は”エリート”だが、ドラマの後半で、楽しそうに仲間とパーティをする”田舎者たち”の姿を見ながら発狂する。「俺の人生45年はなんだったんだ!あはははは」と。これはまさに『WORLD OF GLORY』で描き出した陰鬱な男の心の中であり、ショーウィンドウから中をのぞいていた男は、アニカの父親だったのかもしれない。

愛のある観察眼で、冷たくも美しく世界を描くロイ・アンダーソン。キラキラ輝く『A SWEDISH LOVE STORY』の若い二人よりも、気が狂いそうな世界を生きる大人たちの方に強く共感してしまうのは、僕だけだろうか。それは悲しいことでもあるだろうが、”その中でしか見えない美しさがあるんだよ”と、ロイが教えてくれている気がするので、このまま生きていこうと思う。

Art by Daisuke Nishimura