ビル・ゲイツの自伝三部作は「ソースコード」から始まる。

February 3rd, 2025 / / /

ビル・ゲイツはADHD(現在では病気ではなく個性の一つで「神経多様性」と呼ばれる)だったかもしれないと、2月4日に発売された自伝三部作の第一巻『ソースコード/Source Code: My Beginnings』の中で書いている。マイクロソフトの共同創設者であり貧困や病気と闘う世界最大の慈善団体ゲイツ財団を主催している彼は今、自身の生い立ちとともに、築き上げた知の遺産を残そうとしているようだ。三冊も自伝が書けることもすごいが、一冊目のタイトルが「誕生」とかではなく「ソースコード」というあたりもビル・ゲイツらしい。コンピューターなしでは彼の人生はなかったのだ。

シアトルに住んでいた子供時代は内向的だったらしく、普通の子ではなかったらしい。姉によると「部屋に座って鉛筆の芯まで噛み砕いていた」という。それが比喩なのか本当なのかはわからない。夜中に寝室の窓からこっそりと抜け出すほど、コンピューターに夢中になっていたそうだ。地元の会社とコンピューターのメンテナンスをする代わりに使わせてもらう契約をしていた彼らは、テックオタクの仲間達と一緒に、シアトルのエリート私立校であるレイクサイド校にあるマシンを経由してそのコンピューターにアクセスしていたという。彼らが「神社」と呼んでいたコンピュータルームには、記念品やスナップ写真と共に、 2018年に亡くなった学生時代からの友人でマイクロソフトの共同創設者あるポール・アレン氏へのオマージュが飾られていた。まだその時代にはコンピューターは非常に効果だったため、電話回線を介してコンピュータに接続できる「テレタイプ」が置かれていた。まずプログラムを先に作成して、それをテレタイプからコンピューターに送って実行するという仕組みだったという。

ビルゲイツはBBCのインタビューでこう答えている。「私たちは何時間もテレタイプの前で過ごしました。最初に書いたソースコードはこのマシン用だったのです」。その時の彼は強い執着心や依存症があったといい、それが「神経多様性」の特徴だったのかもしれないと振り返る。「もし薬を飲めば症状が治ったとしても、僕のキャリアにとってそれは、欠点というよりもプラスだったと思います」という。本の中では学生時代の初期には知的障害を疑われたことにも触れ、そういった「熱中できる心」がマイクロソフトの大成功に繋がったというのだ。

そんなビル・ゲイツにも「最も後悔している過ち」が一つだけある。それは27年間連れ添ったメリンダさんと離婚したこと。なるほど、現時点で世界第8位の億万長者なった人でも、離婚を後悔していることは普通の人と何も変わらないということか。世界一の資産家ウォーレン・バフェットが「資産10兆円90歳の私より資産0円20歳の若者の方が価値がある」と語った時にも同じようなことを思ったけれど、つまり、金では買えないものがこの世界にはたくさんあるのだ!

ビル・ゲイツさんの自伝三部作だが、第一巻は子供時代からの生い立ちが書かれているが、第2巻はマイクロソフトの話、第3巻はビル&メリンダ・ゲイツ財団の物語ということなので、ビル・ゲイツさんの生い立ちを知りたいのなら一巻だけで十分なのかもしれない。

Art by Daisuke Nishimura