「ドキュメンタリー」と「メメント・モリ(死を想え)」とつなぎ合わせたら何が生まれるだろう?という発想のもとに少し強引な造語「ドキュ・メメント」を考えたのが8年前。それ以来、気鋭のドキュメンタリストたちが大切にと立てている作品を持ち寄り議論する場として成長を続けてきている。当初はドキュメンタリーを通して「命ギリギリの駆け引き」を追求したい趣旨が感じられたのでこの名前をつけたが、最近は必ずしもそれだけではない。むしろ「生命が視線をまじ合わす」瞬間に生まれる《共感や想起》といった温かげなイメージが、そこに合流している。もちろん、死ぬよりは生きる方が、ずっといい。
アルコールの助けも大いに借りてワイワイガヤガヤ進行する2DAYSイベントでは「ここまで映していいのか?」や「果たしてこれはドキュメンタリーなのか?」 などと際どいが普通に飛び交う。実際にカメラで撮影したディレクターもいれば、赤裸々に描かれた被写体もいるし、ドキュメンタリーが社会に投げかける可能性を知りたくて集まる学生たちもいる。初期は映画の興行関係者やプロデューサーなども多くいたように思うが、最近はあまりみかけない。むしろ主宰である松井至氏のブレない思想に傾倒した「探究者」が、マジョリティになりつつあるようだ。それはそれでいい。彼らがやろうとしていること、それは端的に言えば、いわゆるドキュメンタリーの「in vivo」な実験である。「試験管内試験」を意味する「in vitro」に対する言葉であり「in vivo」は「生体内試験」という意味で、「生きた状態で行う実験」のこと。「ドキュ・メメント」とは、ドキュメンタリーという生き物の内部へと入り込み、ドクドクと脈打つままに観察し、ひとつのマスターピースへと成長させるきっかけを見つけるための実験場だ。
「品川宿」という古い世界と新しい世界が混在した街を背景に変化を遂げてきたドキュ・メメント。決してヴァナキュラーアート的アプローチで鋭く街の問題に切り込んでいるわけでもなく、8年の痕跡がしっかりと街に刻まれているわけでもない。むしろやんわり共存しながら8年が過ぎてきた。それにもかかわらずこの街の人たちは、変わることなく、ウクライナやミャンマーで生死を潜り抜けてきたドキュメンタリストの横で幸せそうに話を聞いている。「元気にしてた?」と笑いながら参加してくれる彼らの姿を見ることが、「今年もうまくいったんだ」というサインになる。それはつまり、そういう「場所」を守ることができた、という証拠なのだ。自然災害も戦果もスポンサーも、明日はわからないのだから。品川宿は永遠なり。
あまり言う機会もないが毎回イベントのキービジュアルを描かせてもらっている。若さみなぎる初期は、尖った表現をするために3Dアートで描いていたが、イベントの変遷に合わせてビジュアルも変化し、今回は久しぶりに水彩画で主宰の松井氏が考えたコンセプト「私たちは発光している」を描いた。生きている人が「見ることと見られることを行き来して」生まれる光。屍体から発する「燐光」ではなく、ドキュメンタリストがカメラを向けたその先にある光。まだ自分はその「光」を見ることはできないが、そう言うのなら、きっとそうなのだろう。10周年まであと2年。そのころまでには、むしろサングラスをしないといられないぐらいにピカピカに光っていられたらいいな、と思いながら、この絵を描き上げた。