グッバイ矢野さん 映画愛のDNAは続いてゆく

January 20th, 2025 Column

2025年1月、前年に亡くなった山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIDFF)を創立した矢野和之さんのお別れの会「グッバイ矢野さん 矢野和之さんお別れの会」が東京の内幸町で行われた。

矢野さんと私は個人的に飲みに行ったり深い話をしたとかそういうエピソードは無いのだが、山形や東京事務局のある新宿区曙橋で会うことはたまにあり、その度に言葉少なながらも笑顔で挨拶を交わすくらいの関係性だった。そもそもドキュメンタリー映画界において重鎮である矢野さんは、映画業界の端くれにいるような私にとっては本来なら雲の上の様な存在。そのはずなのだが何故か緊張を人に感じさせない、柔らかさを持った人柄だった。それを感じていたのは当然私だけでなく、世界中の映画作家たちから愛されてきた。彼の映画を上映することに対する熱心でひたむきな姿勢、そして圧倒的な映画愛によって、作家たちと絶大な信頼関係を築いてきたのだろう。そのむかし曙橋の商店街に事務所があった時代、ペドロ・コスタ監督のインタビューをさせてもらったことがあったのだが(その時まだコスタ監督は喫煙者だった)、そこで監督を寝泊りさせて文字通り「寝食を共にしていた」のは有名な話だ。

お別れの会当日、受付で矢野さんの仕事と山形での写真をまとめた72頁からなる小冊子を受け取り、会場に1時間弱遅れて到着するも、そこは既に矢野さんの想い出を語る人や再会を祝して近況を語り合う人たちで大賑わい。それはまるでYIDFF会期中に催される市民と映画関係者の出会いの場「香味庵クラブ」のような光景だった。そこに矢野さんの姿はないけれど、悲壮感はなく彼がこれまで築き上げてきた人が繋がる暖かい空気で満ちていた。また会場にはキドラット・タヒミック、イグナシオ・アグエロ、王兵といった世界各地から届いたビデオレターも流れた。みんな口々に矢野さんとの想い出を語り、彼のトレードマークであったタバコを吸う仕草を真似したりと、その表情は一様に柔らかく、世界中に山形と繋がる偉大な道を拓いてきたのだと感じた。

矢野さんが亡くなる一ヶ月前、2024年7月に映画祭に長年コーディネーターとして携わってきた若井真木子さん、馬渕愛さん、加藤初代さんの三人による新たな映画関連会社「アカリノ映画舎」が設立された。ここでは知られざる作り手の作品の上映・配給や、映画について語るポッドキャストを行っていくらしい。日本におけるドキュメンタリー映画の重鎮はこうして肉体をなくしたが、彼が築いてきた「映画愛」のDNAはこれからも引き継がれていく。